エスケープすいい

日々のことを書くどこかにいる大学生のブログ

「いじめられている子」はなぜ助けを求めないのか?

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 こんばんは、主かです。

 

 2011年に滋賀県大津市で「大津市中2いじめ自殺事件」があり、「いじめ」が社会問題になりましたよね。「体罰」や「いじめ」といった教育の問題は、割と話題になるとニュースが持ちきりになりますが、一過性な感じが否めません。

 

 私が当時あのニュースを聞いた時はかなり衝撃的でした。私が中3の時だったかな。

 

 同じ中学生の子が死を選んだこと、「いじめ」の内容があまりに凄惨だったこと。ただそれが、テレビの中のどこか遠くの出来事じゃなくて、やけに『リアル』に感じたのは、私が中学1年の時にいじめに遭っていたからだと思います。

 

 3ヶ月程度、席替えをきっかけに私のいじめはなくなっていったので、大津で亡くなった子とは比べものにならないくらい、軽いもの(いじめに重いも軽いもないが)だとは思いますが、なんとなく大津の子と、自分をリンクさせながらニュースを見ていました。

 

 あれからもう7年が経ったみたいです。

 

 

 今日は、「いじめ」について私の体験談も引っ張り出しながら、『「いじめられている子」はなぜ助けを求めないのか?』について、ちょっと考えていこうと思います。

 

 

いじめられた新学期の話

 多分『中学生』っていう時期は、どうやって生活をしていても、『いじめる側』と『いじめられる側』どっちかには振り分けられる時期なんだろうな〜と思います。私はたまたま『いじめられる側』であっただけで。

 いじめられることに大きな理由もないし、なんかもうロシアンルーレットみたいな。

 

 本当、なんかそんな感じがします。今の中学生は知らないけど(笑)

 

 当時は、(主かが女なので)席が近かった女の子数人からいじめられていました。基本的に悪口。筆記用具を壊されたり、捨てられたり。「いじめ」の典型みたいなことをされていました。

 もちろん嫌だったし、辛かった記憶の一つです。

 ただ、私が親や教師に助けを求めることはなかったです。

 

 それが一体なぜだったのか、ちょっと考えてみます。

 

 

「いじめられている」ことを認めたくなかった。

 自分の中で「私はいじめられているんだ」と認めることは、とんでもなく屈辱でした。だって同級生やで???

 

 女ですらそう思うんだから、男の子なんてもっとそういう気持ちが強いんじゃないかなぁ、と勝手に思ってます。

 男女平等とか言いながら、『男は強く!弱音は吐かない!』みたいな雰囲気はやっぱりあるし、男の子ほど、『いじめられてる』=『弱い』みたいに感じて、自分を責めるんじゃないかなぁ、と思う。

 

 とにかく「自分はいじめられている」んじゃなくて、「自分はいじられている(遊んでいる)」と、思い込む。

 

  多分「いじめられている子が笑う」というのは、このためです。

 私も結構いじめられていた時は笑っていたんですけど、なんで笑うのかっていうと、もちろん嬉しくて笑ってるんじゃないです(笑)

 

 「笑ってる」と「遊んでいるように自分が思える」んです。

 

 

 物を壊されても、「ちょっとぉ〜〜やめてよ〜〜ww」みたいな感じでいると、自分の中でいじめっ子達と遊んでいる感じがするんですよね。

 「遊んでる」時は基本的に笑いますから、いじめられている時は基本的に笑っていました。「いじめられて」るんじゃなくて、自分が「遊んでいる」と思い込みたくて。

 でも目は死んでる・・・(闇)

 

 

いじめられることは『恥ずかしい』と思っていた。

 上記の内容と続くところがありますが。

 いじめられるのは恥ずかしいことだ、と思っていました。なぜなら、『弱い奴がいじめられる』という意識が根底にあったから。

 

 自分が『弱い』と認めることは子どもにとっては勇気がいります。

 なのでいじめられていると打ち明けて、親にも教師にも『私は人からいじめられるような弱い奴です』とは言いたくなかった。普通にいじめられている自分が恥ずかしかったんです。

 

親を悲しませたくなかった。

 親に言うことも、どうしてもできませんでした。

 「いじめられている」と言ったら絶対に慰めてくれるのもわかっていたし、もしかしたら解決策を提示してくれるかもしれない、とも思ったのですが、どうしても『親を悲しませたくなかった』。その気持ちが勝っていました。

 

 ニュースで、子供が自殺をしてから、「もっとちゃんと見てあげればよかった・・・」「気づかなかった・・・」と泣く親御さんもいますよね。

 『子供がいじめられてて気付かないなんておかしい!』とネットで言われることもありますが、私は、気づかなくて当然なんじゃないかな、と思います。だって気づかないように子供が隠すんだもの。

 

 

 「学校は楽しかった!」って言うし、「友達はいる!」って笑って言う。

 親にばれたくない。泣いてほしくない。悲しませたくない。その一心です。私もそんな感じでした。未だに親は私がいじめられてたことは知りません(笑)

 

 教師に期待していなかった。

 「教師に相談する」というのも、できませんでした。

 中1の時の私は、「もしかしたら担任の先生がいじめを見つけてくれて、止めてくれるかも!」という淡い期待を持っていましたが、そんなことはなかったですね(笑)

 

  前述通り私が終始いじめられてても笑っているので、本当に遊びだと思ったか、気づいていたけど止めなかったのか・・・。

 

 しかし決定的だったのは、身体測定の際、女の先生(体育教師)の前でいじめっ子にズボンずらされた時に、女の先生にガン無視食らった時ですね。いやさすがに気づくやろお前。(圧力)

 

 何が悲しいって、ズボン云々以前に教師に見て見ぬ振りされたことですよね!!シクシク泣いてたら、友達が慰めてくれて余計虚しくなったわ!!!(友達はいた)

 

 

 

 とまぁ、そんな感じなのですが、実際に教育実習で『教師』として現場に行った主か。教員目線からも話をすると、とにかく30人近い子供をいっぺんに見るのは不可能!!

 特に中学時代の私のように、笑っているけど悲しい思いをしている子なんかは全く分かりません。たとえ、その子が「気づいて!」って思っていても、多分気付けない。声に出してくれないと本当に何もわからないんです。教師もただの人間だから。エスパーじゃないんですよね・・・(知ってる)

 

 ただ、意外とクラスで休み時間、個人個人がやっていることなどは把握できます。コソコソやっていることもわかります。明確に「いじめられているシーン」。それこそズボン脱がしだったり、殴る蹴るの暴力は普通に見つけられる。(これはたとえ、やられた本人が「いじめ」だと思っていなくても叱る対象だと思います。)

 

 

 だから、気付いてくれなかった当時の担任の先生にはそこまで恨みはないです。

ただあの体育の女教師は許さん。

 

 

 

まとめ 

 いじめた方は忘れても、いじめられた方は覚えてるもんだよ、とはよく言いますが、あれは本当です。私に至ってはかれこれ9年ほど前ですが、まだいじめられたことは鮮明に覚えています。

 

 

 「いじめは相談しなかった被害者も悪い」と言われますが、どうかそんなこと言わないでほしい。

 確かにSOSを出せたらいいです。けれど、いじめられている子は、『自分でなんとかしよう』って、ずっと思っているんです。

 SOSを出せなかったその結果が、いじめの自然消滅か、クラス替えか、自殺なのか・・・それは分かりませんが、被害者の子は、きっと沢山解決法を模索し、『死なないように』頑張っていたことは確かです。

 

 人をいじめてもいい理由も、いじめられる理由もないと思います。

 

 

 

 

 いろいろとアレコレ書きましたが、いじめを発見するのって難しいです。自分の経験上から言うと、登校しぶりをしたのが一番わかりやすいSOSだったかな。

 いじめられていた時は、微熱でもここぞとばかりに「行きたくない〜しんどい〜」って休みたがってました。

 

 参考になるか分かりませんが、一つの発見のサインかなぁ、と思ってここで記載しました。

 

 

 

 

 それでは!