エスケープすいい

日々のことを書くどこかにいる大学生のブログ

n-buna『言って。』歌詞の解釈・考察

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「言って」ほしかった

 こんばんは、主かです。

 お久しぶりの解釈記事になります。これで5回目くらいかな?

 今回は2017年リリースされた、ナブナさんの『言って。』という曲。YouTubeでは1000万再生を越えてるんでかなり有名な曲なのではないでしょうか?いや有名の基準ってよくわからんけど・・・。

 

 毎回めちゃくちゃ勝手に自己解釈してるのですが、今回もまぁ自分勝手に解釈しているので(笑)「それでもいいよ!」って方は是非読んでみてくださいね。

 どうぞ!

解釈 

言って

あのね、私実は気付いてるの
ほら、君がいったこと

あまり考えたいと思えなくて
忘れてたんだけど

盲目的に盲動的に妄想的に生きて
衝動的な焦燥的な
消極的なままじゃ駄目だったんだ

 

 <解釈>

 「私」と「君」。のちの歌詞からもわかりますが、「君」はすでに亡くなっています。それも、事故死や自殺といった突然の死。

 そのせいで「私」はそのこと(君が死んだこと)をあまり考えたくない(現実をまだ受け入れられない)、と言います。

 『盲目的に盲動的に妄想的に』生きていたのは、「私」で『衝動的な焦燥的な消極的に』生きていたのも「私」です。これは「君」が死んだことに対する、「周りが見れていない軽率な行動(盲目的・盲動的)」、「死んでいないという妄想(妄想的)」「君が死んで鬱ぎ込むこと(消極的)」そう言ったことはもうやめよう、現実と向き合おう、という「私」の決心だと解釈しました。

 

きっと、人生最後の日を前に思うのだろう
全部、全部言い足りなくて惜しいけど
あぁ、いつか人生最後の日、
君がいないことを
もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って

 <解釈>

 「私」の人生最後の日に、「私」は「君」に伝えられなかったたくさんの想いを後悔するだろう。

 人生最後の日に「君」がいないことをもっとちゃんと「私」に自覚させて欲しい、と誰かに「(私の人生最後の日、君がいないということを)言って」と懇願します。この『誰か』は多分「君」。ややこしいですが、「(私の人生最後の日、君がいないということを)君が言って」と解釈しました。

 歌詞の中に何回か『言って』という言葉が出てきますが、多分主語は全て「君」なんじゃないかな、と私は解釈しています。

 

あのね、空が青いのって
どうやって伝えればいいんだろうね
夜の雲が高いのって
どうすれば君もわかるんだろう

言って

あのね、私実はわかってるの
もう君が逝ったこと

あのね、わからず屋って言うんだろうね
忘れたいんだけど

 <解釈>

 空が青いこと、夜の雲が高いこと、「君」はどうやって「私」に伝えるんだろう。「君」に教えてもらいたい。「君」が言って。

 わからず屋って「君」は言うかもしれないけど、「私」は「君」のことを忘れることができないでいる。

 

もっとちゃんと言ってよ
忘れないようメモにしてよ
明日十時にホームで待ち合わせとかしよう

牡丹は散っても花だ
夏が去っても追慕は切だ

 

<解釈>

 ここは完全に自己解釈になってしまうのですが、もしかしたら「君」の死因は自殺だったんじゃないかな、と解釈。『もっとちゃんと言ってよ』は『自殺するくらい追い詰められてしまった理由をもっとちゃんと言ってほしかった』。『忘れないようメモにしてよ』は少し強引な解釈かもしれませんが、『(あなたが死んでしまった理由を私が)忘れないようメモにしてよ(=遺書を残しておいてよ・「私」の贖罪のような感じ?)』

 

『明日十時にホームで待ち合わせとかしよう』は「君」が飛び込み自殺をしていると仮定すると、ホームで「私」と待ち合わせをすることで、自殺を防げたんじゃないか、という「私」の想いだと解釈しました。

 

 次に『牡丹』という花が出てきますが、牡丹は花びらが一枚一枚散っていくのではなく、一気に落ちる花です。それを首にたとえて縁起が悪いとする人もいますよね。

 しかし、『牡丹は散っても花だ』という歌詞からは、そうやって花ごと落ちる姿は逆に、『死んでも(散っても)そのままの姿でいる(死んだとしても価値がある?)』というようにも解釈できます。

 要するに、死んでも「君」が残したもの(愛・言葉・音楽・書物など?)には価値がある、ということかな。

『夏が去っても追慕は切だ』の歌詞は、「(君が死んだ)夏が去っても、あなたを追悼する気持ちは痛切だ」というように解釈しました。

 要するに、「君」が死んだ夏が過ぎても、あなたのことを忘れない、といったニュアンスかなと。

  

口に出して 声に出して
君が言って

そして人生最後の日、君が見えるのなら
きっと、人生最後の日も愛をうたうのだろう
全部、全部無駄じゃなかったって言うから
あぁ、いつか人生最後の日、君がいないことがまだ信じられないけど

もっと、もっと、もっと、もっと
もっと、もっと、もっと、君が
もっと、もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って

<解釈> 

 「君」がもしも、「私」の人生最後の日に生きていたとしたら、「私」は「君」に愛の歌を歌っていたのだろう。

 「君」の人生は『全部、全部無駄じゃなかった』って愛を伝えるから。本当は「君」は「私」の人生最後の日にいないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 こんな感じで、勝手に自己解釈をさせてもらいました。

 残された人の辛さを歌った曲なのかなぁ。

 

  とはいえ、「へぇ〜〜〜この人はこうやって読み取ったんだね〜〜」くらいの軽い気持ちで見てくださると大変嬉しいです・・・(苦笑)

 

 毎回ナブナさんの曲は『夏』っていうイメージがあるんですが、何か夏に思い入れがあるのかなぁ。私も夏は好きです。(どうでもいい)

 

 それでは!