エスケープすいい

日々のことを書くどこかにいる大学生のブログ

164P『例えば、今此処に置かれた花に』歌詞の解釈・考察

「何処にもないよ」とあなたは言う

f:id:flatk:20180701231842j:plain

 こんばんは、主かです。

 今回でボカロの解釈記事を書くのも3回目!

 記念すべき(?)3回目は『天ノ弱』で有名な164Pさんの曲・『例えば、今此処に置かれた花に』

 2014年の曲なので、決して新しい曲なわけではないのですが、私の大好きな曲なので、今回は自分なりに自己解釈・考察をしていこうと思っています。

 

 いつもは難しい用語のみ、その解説を交えながら記事を作っているのですが、今回は特にそのような用語がないので割愛しました。

 それでは早速いきましょう!

 

解釈

斜体青字アンダーライン→歌詞)

 

あなたが願った幸せなど
当たり前のようなものだけれど
何処にもないよとあなたは言う
そんな世界がまた始まる

 

 <解釈>

  この曲全体を通して、「あなた」「僕」が登場しますが、「あなた」と「僕」は赤の他人と推測します。

 

 「あなた」が願っている幸せは「僕」にとっては当たり前のようなものだった。例えば、親の愛情や、(本当の意味での)友達、生まれ育った環境、かなぁ。

 仮に「あなた」が親から愛情をもらっていないとして、「僕」にとっては親に愛されることは当たり前。

 「あなた」は親の愛情なんてどこを探しても見つからない、何処にもない、と言う。

 そういった何もかも、平等でない『世界』は今日も朝を迎える。 

 

今日も電車は遅れている
僕の予定など知りもせずに
あくびを一つ二つ飲み込んで
空に咲く雲が笑っている

楽しそうに

 

<解釈>

 後の歌詞からも推測されますが、『今日も電車は遅れている』は人身事故(「あなた」の自殺)による遅延だと考えます。さらに、「も」とあるように、もはや朝の電車で飛び込み自殺があることは当たり前のような光景。

 しかし後の歌詞からわかるように、「今日」の人身事故を起こしたのは前述の「あなた」だった。

 僕の予定を知りもせずに、電車は遅れ、眠たさからあくびが出る。どこかの誰かが起こした、無関係の出来事だとして「僕」は全く興味を持っていません。

 

 

過ぎ去ってゆくよ 走馬灯の中へ
積み上げた思い出一つ残らない
旅立つあなたへの舌打ちの中
今日も変わらず世界は廻る

 

<解釈>

 「走馬灯」はくるくると回る影絵のようなものなのですが、様々な過ぎ去った「あなた」の思い出がくるくると蘇っている様子でしょうか。

 どうあれ、「走馬灯」は死ぬ瞬間に見るとされるものですから、この歌詞自体は「あなた」の『死』を暗喩していると考えられます。

 積み上げた思い出も、死んでしまっては一つも残らない。

 あの世へ旅立つ「あなた」へ、電車の遅延に対する怒りで通学中の学生や、通勤中のサラリーマンが舌打ちをします。そうやって、あなたが死んでも(おそらく生きていても)今日も変わらず世界は動きます。

 

 

ビルの隙間から顔を覗く
お天道様が照らしている
哀しそうに風に揺られながら
道行く人は通り過ぎてく

 

<解釈>

 う〜〜〜〜ん、ここはちょっと色々考えては見たのですが、難しいです・・・。

 そもそも『風に揺られている』ものが何なのか・・・。

 イメージ画像にもありますが、亡くなった「あなた」へ供えられた花束が揺れているのか・・・でもそれが一番流れ的にはしっくりくるかなぁ。

 その花束すらも、道行く人たちは何も気にせず通り過ぎていくということかな。

 

あなたがどれだけの痛みを抱え
背負って悩んで苦しんだのか
例えば、今此処に置かれた花に
白々しく手を合わせる僕に解るのでしょうか

 

<解釈>

 イメージ画像のような光景を思い浮かべてもらえれば大丈夫です。

 『此処に置かれた花』は「あなた」へ供えられた花束だと解釈します。

 「白々しい」はこの歌詞の場合、『行動だけで、心がこもっていない。』という意味だと考えます。「僕」はたまたまこの花束を路地で見つけ、今朝の人身事故を思い出し、死を悼む。「僕」は、電車内では誰かが死んでも無関心で興味を持たなかったにもかかわらず、突然死を悼み、悲しむ姿を「白々しく」と表現したのかなと思います。

 

 「あなた」と「僕」は赤の他人で、「僕」は形だけは悲しみ、「あなた」の死を悼んではいるが、悲しいけれど、本当はそこまで悲しいとは思ってはいない。そんな僕に、「あなた」の自殺を決断するほどの悩み、苦しみ、それらを「僕」が想像し、解ることができるのだろうか。

 

 ちなみに「解る」は、「分かる」とほぼ同義ですが、『より他人の気持ちや物事を理解して説明できる場合』に用いるそうです。

 

 

あなたが願った幸せなど
当たり前のようなものだけれど
何処にもないよとあなたは言う
こんな世界は沈んでゆく

 

過ぎ去ってゆくよ 走馬灯の中へ
積み上げた思い出一つ残らない
旅立つあなたへの舌打ちの中
今日も変わらず世界は廻る

 

<解釈>

 前文とそこまで変わりませんが、

『そんな世界がまた始まる』『こんな世界は沈んでいく』

 ここの歌詞のみ変更されました。

 

 上記に書いたように、『そんな世界』は「あなた」が苦しむ世界だと解釈します。

 『こんな世界は沈んでいく』と考えているのは「僕」であり、「こんな世界」っていうのは、う〜〜〜ん、やっぱり他人に対して冷たかったり、他者の『死』に対してあまり何も感じない世界ってことかな。沈むっていうのは漠然と暗くなっていくイメージ。

 

 蛇足ですが、最後の「あなた」は今までの「あなた」とは別人物じゃないかなと勝手に妄想。

 それなら「君」でも「彼女」でもいいはずなんだけど、あえて「あなた」に統一されているのは、やっぱり「僕」の中では皆『人身事故で亡くなる人』という名前を持たない存在だからじゃないかなぁ。毎日誰が亡くなったのかもわからないし、一つずつ名前をつけて区別できない、という意図を込めての「あなた」かな。

 

 

 

 

 

 そんな感じで、長くなりましたが今回は『例えば、今此処に置かれた花に』の解釈・考察記事でした。

 解釈や考察って一つじゃないところが面白さだと思っているので、「ここはこんな風に解釈したよ!」とかあったらぜひとも教えてください!

 

 それでは!